荷物を抱えながら部屋へと戻った麻澄は、部屋のカーテンを音を立ててあけた。
四階にある麻澄の部屋からは、遠くにあるビルの谷間に消えてゆくオレンジ色の太陽の頭が見えた。
空の色は茜色と夜の闇色が入り混じり、家路を急ぐ人たちがちらほらと通りを歩いている。
部屋の時計を見ると、夕刻の六時三十分。
夕食時に差し掛かっているため、開かれた窓からは近隣の家々で料理を作っている匂いが流れ込んできた。
キッチンへと立った麻澄は野菜類を冷蔵庫に片付けると、鍋に水を張り火にかける。
手際よく魚をさばき、調味料で味付けをした鍋の中にそっと漬け込んだ。
コトコトと鍋が湯気をあげ、室内にはおいしそうな香りが広がる。
バランスの良いメニューをと思い買ってきた鶏肉は、里芋と共に煮付ける。
米を研ぎ、買ってきた豆腐を切り分けだしの取れた味噌汁の中へと入ていき、次々と料理を仕上げた。
たまにはお酒もいいかもしれない。
ふと思い出したように麻澄は火を止め、買いそびれた焼酎を買いに出た。
マンションから歩いて五分と離れていないところにある酒屋は、滅多に利用しない場所だった。
もともとあまり酒も飲まず煙草を吸わないために、酒屋や煙草屋といったところとは縁が無いのだ。
だが、そんな麻澄とは対照的に、瑛はヘビースモーカーの上に酒豪だった。
瑛のペースで酒を飲んだ次の日は、決まって麻澄は大学どころか、バイトまでままならない状態になるのが常である。
でも、久しぶりだし、たまにはお酒もいいかな?
そう思い買いに出たのだった。
帰り道、さらに気まぐれに、自販機に並べてある外国産パッケージの煙草に目が行くと、麻澄はいつも瑛が好んで吸っている煙草のボタンを押す。
機械音と共出てきた白と青の文字が書かれている煙草を取り上げると、マンションに戻った。
食事の準備も全て整い、あとは瑛本人を待つだけとなった。
ソファに転がり込むとテレビのリモコンを手にし、電源を入れる。
八時近くのため、どこの局でも家庭向けのバラエティ番組が放映されていた。
笑い声がテレビから流れて一人部屋の中を明るくする。
近くにある雑誌を見つけると、なんの気なしにページをめくる。
静かに、刻々と、時が過ぎていった……。
次に時計を見上げたときには、時刻は既に十時を回っていた。
テレビ番組も今はニュースに変わっている。
「十時……か……」
随分と前に読み終えてしまった雑誌をテーブルの上に置き、麻澄は再びキッチンに立った。
この時間になってもなんの連絡もないんだったら、きっと用事が出来たんだろうな。
半ば自棄気味になりながら、焼酎の紙パックを開けた。
やかんにかけていたお湯をグラスに三分の一ほど注ぐと、さらに焼酎をついだ。
「馬鹿みたいだ。なにやってんだろう、オレ……」
グラスの中で混ざり合う液体を見ながら、麻澄は自分に言い聞かせるように呟いた。
生温い酒をグイッと飲み干すと、胃の中が急激に温かくなる。
さらにもう一杯を作り、休む間もなく飲んだ。
随分と久しぶりに飲んだ酒は、回るのも早かった。
だが、身体はなにかのきっかけを待っていたかのように次を待っていた。
視界がおぼろげになりながら、さらに焼酎の割合をきつくしたものを飲む。
結局何杯飲んだのだろう……。
足元がおぼつかなくなり、その場に崩れ落ちるように座った。
「別に……期待していたわけじゃないけどさ……」
グラスを口元まで持っていくこともできなくなった麻澄は、ついにはその場で意識を失ってしまった。
普通の店がやっているとは思えない時刻。
未だ照明の落とされていない店の中で、一人の男性店員が何度も頭を下げていた。
「お客様、本当に申しわけございませんでした」
店員の横にはさらもう一人、若い女性が涙ぐんで立っていた。
「いや。もう済んだことですから、そんなに頭を下げないで下さい」
そんなことよりも今の時刻の方が、瑛にとっては気がかりだった。
「今日中に仕上げてくださって、本当に助かりました」
嫌な顔ひとつ見せない瑛に、店員たちは深々と頭を下げた。
「いえ。お客様のご注文を受け間違えたのですから……。それよりも、もうこんな時間に。大丈夫ですか?」
男の店員……おそらく店長と思われる人物は自分の手元の時計を見つめた。
「えぇ。今から行けば、なんとかなると思うので」
店内の時計に目をやった瑛は急いで店を出ようとした。
すると、背後から声がかかった。
「宮園さま! タクシーの方を手配いたしましたので、こちらからどうぞ」
店長に促されるように裏口から店を出ると、そこには既に車が停車していた。
「わざわざありがとうございました」
一礼すると瑛はタクシーに乗り込む。
静かに動き出したタクシーを見送りながら、店長は冷汗を拭い取ったのだった。
ヘッドライトにテールランプ。
ビルの明かりや外灯の光に照らされた街中をタクシーはゆっくりと通り過ぎ、住宅街に入っていく。
人の気配もなく、辺りは静まり返っていた。
「ここで結構です」
運転手にそう告げると料金を払い、麻澄のマンションへと足を踏み入れた。
静かに自動ドアが開き、オートロックの扉の前につく。
四、〇、六。
ゆっくりと麻澄の部屋番号を押し、扉が開けられるのを待った。
だが、いつまでたっても応答はない。
麻澄?
再び外に出て上を見上げ麻澄の部屋を見ると、カーテンの隙間からわずかながら光が漏れているのが見えた。
どうして出ないんだ?
もう一度部屋番号を押し、扉が開けられるのを待っていたが、五分……十分が過ぎても開かなかった。
携帯電話を取り出し、仕事からの電話が一切かかってこないようにと切っていた電源を、オンにした。
麻澄の番号を押し、聞こえてくる機械音に耳を傾けていたが、いつになっても出なかった。
「……ご機嫌が直ってないのか?」
電源を切り、さらにもう一度インターフォンに手をかけようとした丁度そのとき。
ガーーーッという音と共に、中から何人かの人が出てきた。
瑛を住人と勘違いしたのか、揃って挨拶をしてくる。
「こんばんは」
運良く開いたドアを潜り抜けながら瑛も挨拶を返した。
エレベーターに乗り込み、押しなれた階のボタンを押す。
到着の音と共に開いたドアを通り抜け、通路を歩き、ようやく麻澄の部屋に辿り着いた。
もう一度チャイムを押し、麻澄の返事を待った。
だが、ここまで来ても麻澄からの返事は無かった。
「麻澄? 俺だ……。いるんだろう?」
今度はノックをして呼びかけたが、帰ってくるのは静寂のみ。
ドアノブに手をかけると、簡単にドアが開いた。
?
不審に思った瑛は慌ててドアを開けると麻澄の部屋に入る。
「麻澄っ!?」
灯りの付いているリビングに駆け込み部屋を見渡すが、麻澄の姿はなかった。
しかし、不意に瑛の鼻腔にむせ返るほどの酒の匂いが入り込んできた。
風に乗って届くその匂いの方向に行くと、壁の角から細い肩が覗いて見える。
「麻澄? そこでなにをやってるんだ……?」
とりあえず麻澄がその場所にいるということに安心をした瑛は、ソファの上にカバンとコートを置くと、再び麻澄のそばに寄った。
するとそこには、頬を赤くしながら浅い呼吸で眠っている麻澄がいた。
心拍数も上がっていて、額には大量の汗が滲んで光っている。
傍らに置いてある紙パックをつかみ、瑛は唖然とした。
半分近くも飲んだのか!?
とっさにグラスに水を注ぎ、麻澄の口元に運ぶ。
「麻澄……いいから飲むんだ」
パチパチと頬を軽く叩いて意識を呼び戻そうとする。
だがなんの反応も示さず、目を開く様子もなかった。
…………。
一つ小さくため息をつきながら、瑛はグラスの水を口に含んだ。
顔を傾け麻澄のあごを軽く持ち上げ、そっと唇を合わせる。
きつく閉じたままの麻澄の唇を舌でゆっくりと開きながら、少しづつ流し込んだ。
突然口内に広がった生暖かい液体を避けるように、顔を動かした麻澄と、瑛の歯がカツンとぶつかった。
「っん……」
薄く開いた唇の間から幾筋かの水が零れ落ちる。
ケホッ……。
小さく咽る音と共に、意識を取り戻しはじめた麻澄の瞳が瑛の姿を捉えた。
……ど……して……?
なんで? ここにいるの…?
そう言いたかったが意識は朦朧とし、ろれつもまともに回らない。
それとも……まだ、夢の続き……?
瑛の姿を見て安心した麻澄は、再び深い眠りにつこうとした。
だが、意識が戻ったのを確認した瑛はそのまま麻澄を担ぎ上げると、まっすぐにトイレへと向かった。
ジャケットを脱ぎ捨て、シャツのボタンを上から三つほどはずし、両手の袖も捲り上げる。
麻澄の身体を起こし、胃の中のものを全て吐き出させるために口の中に指を差し入れた。
強制的に嘔吐をさせられようとする不快感に麻澄は再び意識を取り戻すと、大きく身体をよじり、瑛の腕から逃れようとする。
そんな麻澄の身体をきつく抱きかかえたまま、さらに奥深くへと指を侵入させた。
「やっ……よ…うっ!」
涙を流しながら麻澄は訴えたが、事の重大さに気付いていないせいか酔っ払っているせいか、自分の置かれた状況が把握できないでいた。
「いいから俺にまかせて、力を抜いて全部吐き出すんだ」
背中をさすりながら優しく麻澄に言い聞かせると、再度指を差し込む。
長い指に喉の奥を押され、堪える間も無く大量の液体が溢れ出る。
何度も何度も同じことを繰り返され、麻澄の瞳からは苦しみの涙が零れ出る。
「もっ……無理……。出ないから……指……はずして……」
縋るように瑛の手を掴もうとしたがやんわりと阻まれ、代わりに帰ってきた言葉に呆然とした。
「苦しいだろう? まったく……なにを考えてあんなに無理な飲み方をしたんだ……。もうしばらく続けるぞ。胃が空になるまで、だ」
すすり泣きながら、なにも吐き出せなくなるまで何度も強引に指を差し込まれた麻澄は、ぐったりとしたまま再び意識を失ったのだった。
バスルームから洗面器をとり数枚のタオルを手にした瑛は、静かな寝息を立てながらベッドの上にいる麻澄の枕元にやってきた。
起こさないように気を遣いながら、麻澄の着ていた衣服を脱がしていく。
あれだけの酒を飲んだ後にシャワーを浴びさせるわけにはいかないため、湯に浸したタオルをゆっくりと絞りながら、細い首筋から順に身体を拭きはじめた。
白い肌が今は薄い桜色に火照り、まるで抱き合った後のように、しっとりと汗ばんでいた。
変な気分になる前に……と、瑛は黙々と身体を清めてやり、クローゼットから取り出した大きめの白いシャツを着させた。
最後に一度優しく麻澄の頭を撫でてやると、瑛は部屋を後にした。
リビングに戻ると、つけられたままになっていたテレビ番組はいつのまにか、通販の番組へと変わっていた。
カチ……カチと小さな音を鳴らしている時計を見ると、時刻は既に一時半を回っていた。
「もう、十七日か……」
煙草を取り出し火をつけながら、冷蔵庫に向かった。
なにか飲むものを取りに来たのだったが、中に入っているものを見つけるとそのまま動きを止めてしまった。
綺麗に盛り付けられた、二つのサラダ。
ふと、ガスコンロの上に置かれている鍋に目が行った。
蓋を開くと、そこには味の染み込んでいそうな魚の煮付けと味噌汁もある。
俺を待っていて、あんなに飲んでいたのか。
電話をすれば、感情的になっている麻澄と話がつかないだろうと思い、あえて連絡をせずにきたのが裏目に出てしまったようだった。
――迂闊だった。
頭を押さえて壁に寄りかかる。
シンクに吸い終わりかけた煙草を押し付け、空缶の中に吸殻を片付けるとソファにもどり、カバンの中から一枚の封筒とカードを取り出した。
口で言うのは、どうも苦手だ。
かといって、黙っているわけにもいかないのは分かっていた。
とりあえずは、麻澄の目が覚めるのを待たなくてはいけなかった。
全ての話は、そこからはじまる……。
スラスラとだが簡潔に、瑛は文章を書き終えると、再びカバンへ片付ける。
これからのことを考えると、どうしても気が重くなって仕方がなかった。
麻澄に辛い思いはさせたくない。
「どうやって丸め込むかな……」
大きくため息をつきながら瑛はテレビを消し、静かな部屋の中で、ゆっくりと瞳を閉じたのだった。
next.....「君に声が届くとき(4)」

君に声が届くとき(3)をお届けしました。
小さな不安が次第に自分を埋め尽くしていき、それが悲しみへと向かってしまう。
互いの考えが、ときに正反対だったりすることもあるんですね。
それが、相手を大事に思っているときに訪れてしまった。
今回の麻澄と瑛のテーマは、すれ違いでした。
瑛が告げようとしていることは、いったいなんなのか。
よろしければ、次のお話を読んでみてください。
それでは、今回もここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
2004/1/28
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