丸みを帯びた青地のスカート。
 胸元から広がる、柔らかいフリルのついたブラウスと同じ紋様のエプロンを身につけた女が、ティーセットとケーキを乗せたカートを押しながら、開け放たれている部屋の扉を叩く。
「ディアンヌ様、お茶のお時間です」
 見渡せる部屋の窓辺には一人の少女が佇んでおり、外の景色を眺めていた。
「ありがとう」
 掛けられた声に振り向いた少女は、空気に溶け込みそうなほど可憐な笑みを浮かべた。
 いつものように温められたティーカップに紅茶を注ごうとしていた女から、ディアンヌはにこやかにポットを取ると、予備に用意されていたカップを一つ取り出し、静かに注ぎ入れる。
「ねぇ、一緒にどうかしら?」
 突然カップを差し出され、女は困惑した声を上げた。
「あ、あの……」
「遠慮しないで?」
 マーマレードのジャムをスプーンですくい、カップの淵からそっと流し入れると、程よい香りが立ち上る。
 春の名残を多分に含む柔らかな日差しを受けるテラス近くに並べられた、ローズガーデンファニチャーのテーブルにそれを優しく置くと、未だ戸惑った表情をしている女の手を引き、静かに椅子に座らせた。
「わたくしなどがご一緒させて頂いて、よろしいのですか?」
 ディアンヌの言葉と掴まれたままの手に困り、女はおずおずと尋ね返す。
 無理もない。国王陛下の愛娘にこのようなことをされているのだ。
 辟易しないほうがおかしいだろう。
 しかしディアンヌはなんの問題もないと言った様子で、女に微笑んだ。


「この国でこんなにのんびりとお茶をしているのは、きっとここぐらいでしょうね。私たちがこうしている今も、皆一生懸命働いたり、勉強をしたりしている。私なんて、生まれも育ちもこのお城だから……なにからなにまであなた方に面倒をみてもらっている――」
 カップの淵を指でなぞりながら、瞳を伏せてゆっくりと語るディアンヌの言葉に、女は大きく頭を振った。
「そんな……! わたくしはたとえどんなに些細なことでも、ディアンヌ様のお世話をさせていただけることに誇りを持っているのです。ですからそのようなお考えなど、決してなさらないで下さいませっ!」
 女の口調には言葉を裏切らない力があった。
 聞き慣れた上辺だけの言葉ではないと、言い聞かせるだけの力が。
 それは今までディアンヌを取り囲んでいた、彼女の身の回りの仕事を担っていた他の侍女たちにはないものだった。
「――ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃないのよ。けれど……これはもしもの話だけれど、この国が戦争で負けたりしたときのことを考えてみて? 今のままでは、私は勿論お母様だって多分自分自身の力だけで生きていくことなんてできないと思うの。そうなってしまったとき、はじめてあなた方がどれだけ私たちに色々なことをしてくれていたかに、気がつくのよ。だから、毎日こうしてお茶をしている時間があるのであれば、自分のやりたい勉強をしたり剣を習ったりするとか、色々とあると思うの。――こんなことお父様のお耳に入りでもしたら、大変なことになると思うけれど。『馬鹿なことを口にするな!』って」
 落としていた視線を女に向け、ディアンヌは苦笑を漏らす。
 父であり国王であるフランソワ・ボルボビッチは、傍目に見ても分かりすぎるほどの愛妻家であり、子供……とりわけ娘思いの父親だ。
 執務がどんなに多忙であろうとも、三日に一度はディアンヌの元に王妃のエミーナを伴い姿を見せた後、晩餐をとる。
 ディアンヌが望むものは金に糸目をつけずに与えることが昔からの習慣になっており、受け取るディアンヌ自身がその行動に頭を痛め、父王に申し開きをしたときなど、娘に嫌われたのだと落胆し泣き暮れたというほどだ。
 それほど溺愛する娘が剣術を習うと口にしたことを知ったら最後、国から剣や盾、馬をすべて回収し破棄しかねなかった。


 バラの形が刻まれた白椅子に腰掛けるディアンヌの金色の長い髪が花の香りを含む柔風に吹かれ、ゆらゆらと靡いた。
 染みひとつないミルク色をした肌が、薄桃色と白地のドレスの肩口から覗き見え、続く細い二の腕は触れればさぞかし柔らかいに違いない。
 日の光を反射する手入れの行き届いた美しい爪先を見ても、とても剣などを持てるような手ではなかった。
 それでも今の自分の状況に甘んじず、自分のすべきことを模索するディアンヌの姿に、女は心を打たれた。
「ディアンヌ様は本当にお優しいのですね。それにお強い。今までわたくしは色々な方にお仕えしてまいりましたが、ディアンヌ様のようなお考えをお持ちの方は、どなたもいらっしゃいませんでした。ましてや、お茶のお時間を勉学のためにお使いになるなど……。それに、こんなわたくしなんかをお茶にお誘いいただけるなんて、本当に嬉しいのです」
 涙を浮かべながら語る女の様子を見たディアンヌの心に、強い衝撃が走った。
 なんて素直に自分の意見を口に出せる人なのだろう……と。
 幼い頃から周囲の貴族たちに遠巻きに見られ、その瞳には羨望の眼差しと恐怖の眼差しが入り混じっている。
『ディアンヌ様に失礼なことを言ってはいけない』
 親にしつこく言い聞かされた子供たちは、皆一様にディアンヌに気を遣い、心に思ってもいないことばかりを口にしていた。
 そうした“ともだち”は気を遣うことに疲れると、次々に去っていく。
 ディアンヌの近くにいれば、待遇がよくなるかもしれない。
 しかし裏を返せば、ディアンヌの機嫌を損ねれば、待遇は愚か今の地位すら失いかねないのだ。
 そして最後には、誰一人残らない。
 ときどき、人を信じてはいけない。期待を寄せてはいけない……と、思い悩むこともあった。
 時が経ちディアンヌが成長しようとも、この悩みが尽きることはない。
 そんな状況で現れた目の前の女。
 彼女は、ディアンヌが長年求めていたものを与えたのだ。
 まるで、温もりを求める子供に無償で愛を分け与える母親のように。
「あなた、もしかして最近このお城に?」
 ディアンヌは、手にしていた白磁に赤色の花模様が描かれたティーカップを置き、優しく問い掛けた。
 可能ならば、彼女を自分専属の侍女にしたいと思っていた。
 それは、他に数え切れないほどいる侍女たちに対して示しのつかないことであると分かってはいたが、それでも彼女を自分の元に留めて置きたいと、強く思ったのだ。
 侍女たちは皆、確かに文句などひとつもないほどに甲斐甲斐しく、ディアンヌの身の回りの世話をしてはいた。
 しかし誰一人として、ディアンヌの誘いに乗ったものなどいなかったのだ。
 畏れ多いあまり辞退しているに過ぎなかったとしても、何度声をかけても無駄だった。
 ――彼女は身の回りの世話をしてくれる人間よりも、“友達”が欲しかったに過ぎないのだ。
「はい。四日ほど前に、このお城に配属になりました。以前は、ハーブスト王国の第一王子……デヴィット様にお仕えさせて頂いておりましたが、わたくしの不手際で解雇されてしまいました。働き口を失い途方に暮れていたとき、ハーブストの方に会談にいらしていた、ミランジェリ王国のフランソワ様とエミーナ王妃様に拾っていただいたのです。『私の娘であるディアンヌの面倒を見てやってくれるか?』と申してくださり、ありがたくその任をお受けさせて頂いたのです」
 父の名が出たことに驚いたディアンヌは、口元に運んでいたシフォンケーキの手を止めた。
 数多く働く侍女たちの中で、このような経緯で城に配属になるものは少ない。
 大半の人間は専門の技術や礼儀を学ぶための教育を受けることに数年をかけ、その中でも成績や品格がとりわけ優秀とされたもののみが、王家の人間に接触することを許される。
 彼女が知っている中で、このようにして城にやってきた人物は、ある一家のみであった。
「名前はなんと言うの?」
 自らが仕える主から名前を聞かれることの喜び。
 それは、仕える人間にとってはこの上ない幸せだ。
「はい、マデリーナ=デュッセルと申します」
 女、――マデリーナ=デュッセルは静かに椅子から離れ、深々と会釈をした。
「そう。マデリーナ、これから、私のそばでよろしくお願いね。色々無理も言ってしまうかもしれないけれど」
 はにかみながら言うディアンヌに、マデリーナはもう一度頭を下げた。

 “はじめから”この方にお仕えすることが出来ていたなら良かったのに。
 彼女の心の中を、悲しみと屈辱、絶望の思いが駆け巡る。
 起こってしまった現実を消すことはできなかったが、それでも記憶を消すことが可能なのであれば……“悪夢”と呼ぶに相応しかったあの出来事を忘れてしまいたかったのだ。




 ――【過去】の自分を。





 今度は絶対に大丈夫……。
 ディアンヌ様は女性なのだから、間違っても……デヴィット様のときのようなことは起こらない。
 祈るような気持ちで立ちつくしているマデリーナの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
 彼女の様子に気付いたディアンヌは、不審に思った。
「マデリーナ? どうかしたの?」
 椅子から立ち上がり、瞳の焦点のあっていないマデリーナの肩を叩いた瞬間、まるでなにかに憑りつかれたかのように悲鳴があがった。
 突然胸元にしがみつかれ、ディアンヌはバランスを失い倒れこむ。
 顔を押し付けたままで、マデリーナは震えながら同じ言葉を繰り返している。
「お許し下さいっ! お願いですから……」
「マデリーナ!?」
「お願いですっ」
 身体を離そうにも、とても自分一人の力では引き剥がせないほどに、思いもよらないような力で拒まれる。
「お許しください……デヴィット様っ!」
 最早、マデリーナの目の前にいる人物がディアンヌではないことは明白だった。
 怯えるその声、その仕草。
「マデリーナ!? しっかりしてちょうだい! 私はデヴィットではないわっ!!」
 取り乱す彼女をなんとか抑えようと、必死に話し掛けるディアンヌ。
 しかし、涙を流しながら哀願するマデリーナの耳に届くことはなかった。
 この状況に対する恐怖の気持ちよりも、今の彼女の精神状態が心配になったディアンヌは、やはりなにもできない無力な自分に苛立ちを覚えながら、外に向って大声を上げた。
「誰かっ! 誰か……助けてっ!!」



to be continue.............






空への願い(1)をお届けしました。

タイトルに深い意味はございません;
このお話は、OMCでのサンプル用に、高校時代から考えていた話を修正しつつ、
新しく書き直したお話だったりします。
タイトルは考えていなかったので、急遽適当につけてしまったのでした(汗;)
ここだけの話、本当にタイトル考えるのって苦手だったりします。
いつも、公開前に悩んでいるんですよ…;

今回、この(1)の中盤より少し先までを提出させていただいたのですが、
個人的にどうも尻切れトンボな終り方になっていたので、
キリの良いところまでを、サイトの方で書いてしまおうかと思い…。

昔話なのですが、実はこの話、「First step」とは双子な物語なんです。
ディアンヌは、祐希の前世の人物として描こうと思い、筆をとり始めました。
ですが、内容がどんどん膨らみすぎてしまい、結局は各々を分けて、
全く別の物語として書くことにしたのです。
そんな裏話を含めて見ていただくと、もしかしたら…おもしろかったり??

(2)では非常に微妙なところまでを書いております。
これ、プロットではまだ1/4も消化し切れていないんですね。
以降のお話は、時間的余裕が出来たらのんびりとあげていく予定です。
基本的に恋愛物+ファンタジーな感じで進んでいくかと思います。
キャラは全員カタカナで、読みにくいですがご了承くださいませ。

それでは、今回もここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。


2003/10/8


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