家具がすっきりと配置されている部屋が左右に広がっている。
 間を仕切るように広がるキッチンの中央には、二種類の異なる運送会社の名前の書かれた段ボール箱が、無造作に置かれたままになっていた。
 一つの箱は、今ここにいる少年、応可周(おうか あまね)のものであり、もう一つは、周と同室になる予定の新入生のものだ。
 ちらりと相手の荷物を見遣りながら「オレ、どっちの部屋にしよう……」と周は一人呟き、右と左に分かれている部屋を交互に見比べる。
 二つある部屋のどちらかまでは決まっていないため、その部屋のもの同士で右側か左側かを最初に決めるのが、まずはじめの一仕事なのだが……。
 入居時間はとっくに過ぎているにも関わらず、なかなか姿を現さない新しいルームメイトを、周は落ち着かない様子で待っていた。



 ここ清花少年学園は少人数教育をモットーとした学園で、中等部と高等部二つの学部が共に同じ校舎内にあり、学生寮も同じように部の異なる生徒たちが共同で住んでいる。
 各学年五名の、中高合わせて六クラス。
 計三十名がそれぞれ二名づつに分かれ、一年間のルームメイトとして生活していくのである。
 さらに、部屋割りと言うのは、よほどの要望がない限り学校側が独断で決めてしまう。
 同学年の生徒と同室になれれば、気心も知れていて運がいいことなのだが、最悪なパターンだと、中一の生徒と高三の生徒だったり、性格がまるっきり噛み合わない人であったり。
 そうなると、一年間がとてつもなく長くなる……ということは、誰もが認めている事実だった。
 幸い周は入学してから二年間、中村統和(なかむら とうわ)や吉田角(よしだ すみ)といった同学年の生徒と同室で、部屋割り関して悩んだことはただの一度もなかった。
 だが今朝、新中二生から新高三生のオリエンテーションで手渡された新しい部屋割り一覧表を目にしたとき、周はあまりのショックに倒れそうになったのだ。


 紙を握る手がブルブルと震え、顔からは音を立てるかのような勢いで血の気が引いていく。
「ん〜〜周ちゃん、どうした? 顔色悪いんじゃない?」
 周の変化に目敏く気づいたのは、高二の 河野極(こうの きわめ) 。
 校内でもなにかと周に声をかけ、親しげに声ををかける先輩だ。
 もっともそうしているのは、周一人だけではないようだが……。
 極はどういうわけか周のことを買い被っているようで、大人しい美少年だと勘違いしている節が見受けられる。
 確かに周は美人な部類に属する綺麗な面立ちをしてはいるが、性格は決して極が思っているようなものではない。
 周自身はただ鬱陶しいので、特に反抗するわけでもなく大人しく笑顔を振り撒いているだけなのだ。
 そんな周の正体を思いきり誤解している極が、部屋割り表の紙を凝視して顔面は蒼白……、いつもの周らしくない様子を気にかけてしまうのは、当然のことで。
 だが、問いにも答えずただじっと紙を見つめている周を不思議そうに見つめながら、極は嬉しそうに言った。
「俺ね〜今年は、至和桂(しわ かつら)ちゃんと一緒なんだよね〜。ラッキー」
 語尾にはまるで、ハートが付いていそうな口調である。
「周ちゃんは誰? んっ〜〜と、応可、応可っと……おっ、あったあった。なになに〜、瀬川……由……? なんだ、新一年生じゃん。いいねぇ……初々しいし、気兼ねなく部屋も使えるし」
 栗毛色の柔らかい周の髪の毛をクシャっと掻き混ぜながら呑気に周に語りかけていた極であったが、周の耳にはだだの一言も届いていなかった。


 初日のオリエンテーションが終わり、新しい部屋に荷物を移動させるために生徒たちは足早に寮へと戻っていく。
 そんな中、周は未だに蒼白い顔をしたまま、一人フラフラと自室に向かって歩いていた。
「どうしよう……オレ、どんな顔してこの子に会えばいいんだよ……」
 思いもよらない展開に、周の思考回路は完全にパニックに陥っていた。
 寮に向かって歩いているつもりだったのだが、いつのまにやら通り過ぎていて、気づいた頃には庭に出てしまっていたほどだ。
 春らしい暖かい陽射しに包まれ、芝生はみずみずしい緑色に光輝いている。
 芝生の上を通り抜けてきたゆるやかな風が、そよそよと周の柔らかい髪を揺らした。
 寮の裏口に近いところにある大きな木の影にゆっくりと腰をおろすと、ポケットにしまっておいた新しい部屋割り表を取り出し、もう一度新しいルームメイトの名前を確認する。
「瀬川……由……」
 ため息混じりに、周はその名を呟いた。
 何度見ても、その名は変わることなくそこに記されていて。
「ちくしょう……愁弥(しゅうや)の奴、こんなことひとことも言ってなかったじゃんかっ!」
 芝生の草をギュッと握りながら、周は悔しそうに吐き捨てた。


 それからしばらくの時間、周は中庭で一人考えごとをしていたのだが、新しい部屋への入居時間を告げるチャイムが鳴り響いているのに気づくと慌てて階段を上り、一年間世話になった部屋からまとめておいた自分の荷物を持ち出し、新しい部屋へと運び出す。
 運良く同じ階だったので重たい荷物で階段を上らずに済んだ……と、ほっとしながら新しい部屋の前に着くと、ドアを新しく渡された鍵で開ける。
 すると中にはすでに新入生、瀬川由の荷物が届いていた。
 周が中庭にいた間に、運送屋の人が運び入れておいたのだろう。
 両手が荷物でふさがっていたため、足でドアを閉める。
 そして、由の荷物から離れたところにそっと自分の荷物を下ろすと、周はその場に静かに立ったまま、これからの自分のこと……そして愁弥と由のことを考え込む。
「……やっぱ……普通じゃないよな……。ってそれ以前に、自分の親とそんな風な……関係……だって、気づいてんのかな?」
 口に出してしまうと、いっそう自分たちの関係の複雑さに頭を痛ませてしまう。
 瀬川由の父親、瀬川愁弥との奇妙な関係。
 色んな場所に連れて行ってくれて、美味しいものも食べさせてくれて、好きな映画もたくさん見せてくれて、会えばその日にお金をくれて。
 変わりにオレは……身体を差し出す……。
 そんな二人の関係は、はたから見れば売春――援助交際と捉えられるかもしれなかった。
 別に……金が欲しいわけじゃない。
 周は小さくため息をつきながら、心の隅で思う。
 思えば、愁弥との出会いも突然なことだったのだ。



 その日の周は、いつもの楽しみとして深夜の寮棟を抜け出しオールナイトの映画を見に行こうとしていた。
 もちろん寮から勝手に外出するのは禁止されていることなのだが、どうしてもこの楽しみだけは譲れず……。
 周はこっそりと、皆が寝静まっている寮を後にした。
 中学三年というのは、当然未成年。
 深夜徘徊をしているそういった子供を捕まえる補導員の目をごまかすために、実際の年よりも随分と大人びて見えるような服装を選んで、周は用心深く街をすり抜ける。
 粉雪のちらつく中帽子を目深にかぶり、首回りにふわふわのファーがついている薄いクリーム色のロングコートのポケットに手を入れながら、周は映画館に入っていった。
 周が今日選んだ映画は、アメリカでも記録的な興行収入を納めたという感動のラブストーリー映画。
 もともとあんまり感動ものの映画などは得意としない周だったが、街中を歩いていた時にふいに物淋しさに捕らわれ、気づくとこんな映画の上映されている映画館の前に来ていたからだった。
 チケットを受け取り慣れた仕草でエレベーターに乗り込み、ホールのある階のボタンを押す。
 ゆっくりとドアが閉まろうとしたとき。
「ちょっと待って!!」
 仕立ての良いスーツに身を包んだ背の高い男が、慌ててドアの間に手を挟みながら言った。
 驚いた周はとっさに開閉ボタンを押し、閉まりかけたドアを再び開かせる。
「すみません、突然ドアを開けさせてしまって……おかげで助かりました」
 ゆっくりと乗り込みながら、少し申しわけなさそうに男が謝る。
 別にこれに乗らなくったって、他にもエレベーターはあるのに……。
 心の中ではそう思っていても、口に出して言うことなどあるはずもなく。
 周は人懐っこそうな笑顔を作りながら言った。
「いえ、気になさらないで下さい」
 社交辞令のように、周は思ってもいないことを口に出す。
 そんな周の笑顔に騙されたようで男もはにかんだように笑い、行き先のボタンを押そうとするが、自分が下りる階のボタンがすでに点灯していたため伸ばした手を引きとめた。
「あなたも……三階で上映されている映画を?」
 少し遠慮がちに、男は周の顔を見る。
 突然なにを言い出すんだ? この男……。
 そう思いながらも、周はまたしてもにこやかに笑い、「えぇ、そうです。面白そうだったので……つい」と言いながら、男の顔をちらりと見遣る。
 周の身長は一六八センチで……決して高いとは言えないが、低くて困るといったほどでもない。
 しかし目の前のこの男は、百八十センチは軽くありそうである。
 周は見上げないと目線が合わなかった。
 腰の位置もまるっきり異なり、とんでもなく高いところにある、日本人離れしたスタイルだった。
 そんな男のことを見ていると、どことなく息苦しささえ覚えてくる。
 たった三階までの時間が、周にはとても長く感じた。
 早く着けって!!
 心の中で舌打ちしながら、周は一人思っていた。
 ――ポーン。
 音と共にエレベーターが止まり、ゆっくりとドアが開く。
 これ以上一人の時間を邪魔されたくなかった周は、にこやかに、しかし、手短に男にあいさつをすると足早にエレベーターから下り、まっすぐ係員のところへ行きチケットを渡すと、残りの半券を受け取って館内のドアの向こうへと消えて行った。
 周がいなくなった後のエレベーターからゆっくりと下りた男は、誰に語りかけるわけでもなく一人呟く。
「随分と綺麗な子だったなぁ……」
 だが、そんな台詞が周に聞こえるはずもなく。
 ゆっくりと周の通っていった道を辿って、男も館内に入っていったのだった。


 ホールに入ると、平日の夜ということもあり客入りはそんなに多くはなかった。
 周は真ん中より少し後ろの中央よりの左側の席に座ると、帽子とコートを取り横の席にふわりとかける。
 席について五分と経たないうちに上映開始のブザーが鳴り、中の照明がゆっくりと落とされた。
 いつものように食入るようにスクリーンを見つめながら、周は二時間半の間ピクリとも動かなかった。

 スタッフロールが流れ出し、ぱらぱらと客が立ち始める。
 周も時間を気にしながら、急いで中から出ようとした。
 明日は一時間目から授業が入っているので、あまり遅くなると朝起きられなくなるからだ。
 緩やかな坂を登り出入り口のドアを開けようとする。
 すると突然、誰かに腕を掴まれた。
「こんな時間に一人?」
 軽そうな口調で、馴れ馴れしく話し掛けられる。
 怪訝そうな顔をして、周は自分の腕を掴んでいる人物を見た。
 金髪がかった長めの髪を後ろで一つに結っている、いかにも遊び好きのような男。
「ねぇ、これから俺と一緒にいいとこいかない?」
 手だけではなくいきなり肩までつかまれ、強引に男と向かい合わせの形をとらされる。
 周は不愉快そうに眉根を寄せ、右手で肩に触れている男の手を取り払った。
「すみませんけれど、これから用事がるので」
 きぜんとした態度で男に言う。
 しかし男は周の言葉など聞こえていないかのように、なおも執拗に身体を触ってくる。
「用事ってなに? もしかして、彼女と待ち合わせ?」
 ――オレの用事を、なんであんたにいちいち言わなきゃなんないんだよ!!
 そう思いながら周は男の手から強引に離れた。
「急いでるので、他を当たってください」
「ね〜、質問に答えてないじゃん。彼女のとこに行くの?」
 ドアを開けようと再び手を伸ばしたが、男はしつこく周の横に立って話し掛けてくる。
 無視を決め込んで、周は館内から外に出た。
 だが、男も一緒に出てきて壁際に周を追い詰めると、顔を近づけて言った。
「それとも……彼氏んとことか?」
 いやらしげな笑みを浮かべると、男は周の大腿に手を伸ばしはじめる。
 触れられた箇所から鳥肌が立ち、堪えきれない嫌悪感に周は大声をあげようとした。
 そのとき、重なるようにして金髪の男の背後から聞き覚えのある声が聞えてきた。
「ごめん、待ったかい?」
「あ?」
 せっかくのところで邪魔をされた金髪の男は、不服そうな声を上げて振り返る。
 男の肩越しに、ちらりと仕立ての良いスーツが目に付いた。
 エレベーターの男!!
 周は、天の助け! とばかりに心の中で叫ぶ。
 そんな周の視線には気づかぬまま、金髪の男は顔だけを後ろに向けたままで声を荒げた。
「なんだよ、てめぇは!」
 自分よりも背の高い男を、精一杯睨みつけている。
 しかし、そんな金髪のきつい物言いにもスーツ姿の男はなんの関心も示さなかった。
「彼は私の連れだ。勝手に連れ出してもらっては困る。さぁ、こっちにおいで……由」
 無常にも金髪の男に告げながら、周の方を見て男が言った。
 由……? それって……オレのこと言ってんの?
 聞きなれない名前に戸惑いながらも、この際そんなことにこだわっている場合ではなかった。
 周は身体を滑らせて、男のもとに逃げようとしたが、
「ふん、なに言ってやがんだ。こいつはこれから俺とお楽しみなんだよ!! とっとと消えな!」
 男の言葉などちっとも気にせずに、金髪の男は再び周に向き直ると身体に手を這わせる。
「やっ……」
 名前も知らない他人に身体をまさぐられる恐怖に、周はきつく目を閉じる。
 その様子をみて鼻で笑いながら、金髪の男は周の首筋に顔を寄せてくる。
 しかし、吐息が触れるか否かの寸でのところで、目の前にいたはずの男の気配が消え去った。
 いきなり明るくなった視界に周は恐る恐る顔を上げると、金髪の男は、少し離れたところに殴り飛ばされていたのだ。
「いってぇ……。てめぇ、なにすんだよ!」
 殴られた顔を手の甲で押さえながら、金髪の男はゆらりと立ち上がる。
「人のものに手出しをしようとした罰ですよ。最初に言ったはずだ。彼は私の連れだとね……」
 一糸も乱れていない仕草で、男は睨みをきかす。
 そんな男の余裕の姿を見て、金髪の男の背筋に少しの震えが走る。
 言葉ではとても敵いそうにはなく、力もまた……敵いそうにはなかった。
「チッ…ざけんな! 誰がてめぇのお手つきに手ぇ出すかよっ」
 負け犬の遠吠えとはよく言ったもので、金髪の男はそう吐き捨てるとそそくさと周たちの前から姿を消した。
 あまりの突然の展開に呆然と立ち尽くしている周の傍に、男が近寄る。
「大丈夫? ……なにもされなかったかい?」
「えっ!? あっ、はい。大丈夫です。すみませんでした。本当に……助かりました」
 周は、動揺しているところを悟られないよう、笑顔で答えた。
 しかしそんな周の笑みは、どこか頼りなげに見えて……。
 男は周の前に立つと、遠慮がちに、優しい口調で言った。
「温かい飲みものでもどう?」
 周の緊張と警戒心を溶かすように……ただそれだけの理由で、口にした言葉。
 男の心の中には、それ以外にやましい気持ちはないはずだったのだ。



to be continue...........





おそらく、サイト開設からそう間も経っていない頃(2001年)に書いた話です。
こころお姉さまのサイトさまで展開されている、「清花少年学園」の中の一人、
応可周くんの視線から見た小説です。
微妙なところで終っているのは、私の悪癖がでているからです…。
せめて由が出てくるところまで、書き上げてしまわなければ!!

この小説は表裏、共に「Phantasieblume」で公開するのは初めてです。
今回の公開に辺り、加筆修正をいたしております。
それでは、今回もここまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました。


2004/1/29



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