『小さな涙と万能薬』

 華やかな都、エルザード。
 あまたの旅人がこの地を訪れ、その数だけの出会いが生まれる場所でもある。
 オーマ・シュヴァルツは、この聖都へと続く長いあぜ道を、鍛えあげられた強靭な筋肉を誇示するかのように腰元まで着崩しているきらびやかな装いで、片手に小さな薬草の詰まった麻袋を手にしながら闊歩していた。


「しっかし、いつ来ても閑散とした通りだな。やっぱり旧街道なんざ、ほとんど使う奴ぁいねーか」
 あえて人通りのない道を選んでいたオーマは、ここ数刻、人はもとより魔物の姿すら見かけていなかった。
 道には膝の高さほどまである草が生い茂っており、いかに人の行き来がないのかが伺える。
 はるか遠くまで見渡せるほどの道の先にも人の姿はなかったが、不意にオーマの左隣で、葉が擦れる音がした。
 反射的にその方向に目を向けると、頭をたれて地面に這いつくばり、なにかを熱心に探している少女の姿があった。
「嬢ちゃん、どうかしたのかい?」
 その声につられるように振り仰いだ少女は、手元にあった杖を握り締めると、ゆっくりと立ち上がった。
 右膝から下の部分には義足があてがわれていたが、もう片方の足と右手で、器用にバランスを保っている。
「探しものをしているの」
「探しものだぁ? こんなところにいったいなにがあるってーんだ?」
 顔も服も土まみれになってしまっている少女は、再び下に視線を戻しながら、オーマの質問に答えた。
「チェールを見つけて、父さんに薬を作ってあげないといけないんだ」
 言い終える前に再び両手を地面へつけると、目を凝らして辺りを注意深く見回しはじめた。
 ――チェール。
 思いもよらない名前を耳にしたオーマの表情が、いくぶん険しいものとなる。
「空色をしたトカゲでね。どんな病気でもたちまち治してくれるって聞いたんだ。それで、父さんの病気を治すの」
 まさしく草の根を分けるといった状態で、少女はチェールと呼ばれるトカゲの姿を探す。
 それを阻むかのように、オーマは少女の腕を掴みあげた。
「悪ぃことは言わねぇ。ンなことはやめとくんだな」
「っ……なにするのよ! 離してっ! チェールを捕まえないと、父さんのこと治せないんだからっ。死んじゃうんだから!!」
 不自由な右足までもばたつかせ、さらにはオーマの襟元を引っ張りながら、必死にトカゲ探しを続けようとする少女。
「親父さんのためだっつーのか?」
「もうひと月も熱が下がらないの! お医者さまに行くお金もないから……だから」
 ぎゅっと奥歯を噛み締め、病状が一向に良くならない父親のことを思う少女の両の瞳には、今にも溢れ出しそうな涙がたまっている。
「お前さんはなんも分かっちゃいねーようだな」
 いささか力を入れ過ぎて掴んでいたことに気づいたオーマは、麻袋をわきに挟み、開いた両手で少女をまっすぐに立たせた。
 汚れた衣服をはたいてやりながら、自分をじっと見つめて言葉の先を待っている少女の視線の位置まで身体を屈ませる。
「トカゲっていったってな、そこいらにいるような手のひらサイズの可愛らしいモンじゃねーんだよ。……嬢ちゃん、ウォズって聞いたことがあるかい?」
 はじめて耳にする名前に、少女は首を横に振る。
「そりゃあるわけねーだろうな。ウォズってーのは、嬢ちゃんみてーな普通のやつにらにゃちょいと厄介な生き物でな、俺らのようなヴァンサーって呼ばれるやつらしか退治や封印することができねーモンなんだ。それにチェールはな、体長が二メートル近くある上に人間を喰らうっつーオプションまでついていやがる。嬢ちゃんぐれーなら一飲みだ。そいつを捕まえるなんざ、まず無理な話ってことだ。分かったか?」
「……たら」
「あん?」
「だったら、おじさんが捕まえてよっ! 父さんのこと助けてよっ!!」
 小さいながらも精いっぱいの力をこめて、必死にオーマの袖口を引っ張る少女。
 自分ひとりの力でどうにかすることができなかったとしても、助けてくれる人がいるのならば……。
 すがるような眼差しを向けられるオーマ。
 自由の利かない足を抱えながらも、このような場所で懸命にチェールを探す少女の力になってやりたい……。
 そう思う一方で、手出しをしてはいけない領域のものがあるということもまた事実だった。
「なぁ、嬢ちゃん。親父さんは、お前さんが危険な目にあってまでもそいつを捕まえてきて欲しいって願ってると思うか?」
「……」
「親なんてーのはな、どの道子供より先に逝っちまうモンなんだよ。それを見届けるのが子供の責務なんじゃねーかと、俺は思う」
 あともう一度でも瞬きをすれば零れてしまいそうな少女の涙を、親指で少し乱暴に拭う。
 自分の寿命があとどれほどあるのかなど考えたことのないオーマでも、これからまた数千年先……もしかすると天寿を全うするときがくるのかもしれない。
 それはおそらく、自分の愛娘よりも早く来るのだろうということも、あまり考えたことなどなかったが分かっているつもりだ。
 オーマたちヴァンサーが、世間一般の人間よりは寿命が長いことは明らかであるが、根本の部分――家族や人を想う気持ちは、どんなものでも同じなのだと、オーマ自身は考えている。
「辛い現実を受け止めなきゃならねーときだってあるし、それを乗り越えるために、自分も強くならなきゃいけねーこともあるんだ」
 少女の顔がくしゃっと歪み、こらえ続けていた涙がせきを切ったように溢れ出した。
「……っ。と……うさん、死ぬ……の?」
 目の前で泣き出す少女の顔を見ると、子供相手に少しばかり現実的な話を持ち出しすぎてしまっただろうかと、オーマは自分の判断をわずかに悔やんだ。
 腰に手を当て大きく息をついた拍子に、挟んでいた麻袋がかすかな音とともに地面へと落ちる。
 それを拾いあげるオーマの中で、しばらくの間小さな葛藤があった。
 しかし、それを払拭するかのように頭を振る。
「――ま、死ぬだろーな。あと何十年もすりゃあ」
 どこか含みのある言いかたをされた少女は、わずかな期待と不安を過ぎらせた瞳で、立ち上がってしまったためにずっと高いところへ行ってしまったオーマの顔をじっと見つめた。
「特別にいいモンをやることにしよう」
 ――ったく。俺もたいがい面倒見が良すぎるな。
 わずかに自嘲気味になりながら、オーマは麻袋の紐を少女の腰にぐるりと巻きつけた。
「こいつぁポラボラの葉だ。煎じて飲ませりゃ、とりあえずどんな病気にも効く」
「どんな病気にも……?」
「ああ、そうだ。ただし老衰にゃ効かねーからな。そんときゃ潔く諦めろ」
 ――チェールを捕まえたところで万能薬なんか作れやしねーんだ。
 人はなにかに頼ろうとして、自分にとって都合のいいことを生み出しすぎるものだ。
 それに縋ろうとするものが後を絶たないのは、自分の力だけでは無力だということを知っているからであろう。
「ありがとう……。おじさんっ! 本当にありがとうっ!!」
 小さな身体でオーマにしっかりと抱きつき、何度も感謝の言葉を繰り返す少女。
「親父さんを大事にしてやれ」
 うつむいてかすかに肩を震わす少女の目の前に、ぼさぼさになってしまった髪が一筋こぼれ落ちる。
 優しくそれをかきあげたオーマは、少女の背を軽く叩いた。
「つーことだ。急いで帰って薬を飲ませてやんな」
「うんっ!」
 ぐっと涙をこらえて顔を上げた少女は、よろめきながらも懸命に歩みはじめた。
 一歩一歩をしっかりと踏み出し、エルザードとは反対の方向へと向かう。
 後ろ姿を見送りながら、オーマは満足げな笑みを浮かべた。
 そして自らも都へ戻るために少女と反対のほうへ背を向ける。
 数メートル歩いたところで肝心なことに気づくまで、オーマはすがすがしい気分でいた。
「やべぇ! 別に全部やらなくったって、ちぃーとで良かったんじゃねーか! どうすんだよ薬草っ!! 嬢ちゃん、ちょっと待ったー!」
 慌てて少女を追いかけていくオーマの姿を見ていたのは、優雅に空中を旋回している一羽の鳥だけであった。


[小さな涙と万能薬・完]


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