人を好きになるきっかけなんて、どんなものかと聞かれても、私には上手く答えられる自信がない。
 それは、思いの数だけあるだろうし、同じきっかけなんて、きっと一つだってないと思うから。





「麻海っ! 教務の上山が、今すぐ事務室に来てくれって」
 二コマ目の講義がようやく終わって学食に向おうとしていた矢先、お昼の大事な至福のひとときを邪魔するかのように、奈津の声がかかる。
「えーっ? 今から?」
「なんか急いでるっぽかったよ」
「なんだろう……」
「さぁ? あんたなんかやらかしたんじゃないの〜?」
 そんなんじゃない……と笑いながら奈津をあしらうと、私は少しでも早く済ませてしまうために事務室を訪ねた。



 時間も時間なだけに、人気のない閑散としているフロアを横切る。
 事務室の前には受け付け業務時間外の札がかけられていたけれど、私は構わずドアに手をかけた。
「あっ! 来た来た。大槻さんこっち」
 ずっと待っていたらしく、上山さんの声が掛かった。
 手招きされるままその場所に行く。
「なにかあったんですか?」
「そうなの。今朝、学生用の個人資料を配布したでしょう? それ、大槻さんの間違えてたのよ」
 ――個人資料?
 確かに配られたけど、別に間違えてなかったような……。
 とりあえず確認のためにファイルを開いて、茶封筒を取り出す。
 名前を見てみたけど、やっぱりちゃんと「A.OTSUKI」ってなって…………ん?
「Faculty of Law」――――法学部!??
 さらに先にある学部表記を見て、目を疑ってしまった。
 だって私、文学部なんだもの。
「本当ですね。法学部の方のが来てます」
「ごめんなさいね」
 申しわけなさそうに言われてしまうと、かえってこっちが困惑してしまう。
 貰った私もちゃんと確認しなかったわけだから。
「いえ。でも、私の書類はどこにあるんですか?」
「それは、ここにあったりするんだ」
 突然目の前に茶色の物体が現れ、反射的に仰け反る。
 聞き慣れない声にそのまま後ろを向くと、印象的なざっくりとしたジッパーの入った黒地のニットに、ダークグレーのスリムジーンズに身を包んだ背の高い男の人の姿があった。
「大槻麻海さん?」
「え? あ、はいっ」
「俺は、大月秋仁。で、はい書類」
 受け取った書類には、「Faculty of Letters」――――文学部表示の「A.OTSUKI」と記されていた。
 おおつきあきひと……。
 おおつきあさみ……。
 そうか、字は違うけれど苗字と名前のアルファベットのAまでが一緒だったから、事務処理のときに間違えたんだ。
「海外留学生の生徒が多いから、書類も皆英語表記になってるせいだね」
 大月さんが言っていることはもっともで、うちの大学は4割が海外留学生という結構珍しいところで、去年あたりから書類などの表記が皆英語になったのだ。
 大学生にもなれば、ある程度の英文も理解できるはずという認識からなようだけれど、でも、やっぱり日本人には日本語表記がいいよな……などと思ってしまう。
「俺たちみたいな日本人には、日本語のままで渡して欲しいと思わない?」
 私が考えていたのと全く同じようなことを言われ、思わず笑いそうになった。
「あれ? 俺なんかおかしいこと言った?」
「……いえ、ちょうど同じこと考えていたから、おかしくって」
 やっぱり考えることはみんな同じなのよね。
「そうだよね? 上山さん、彼女だってそう言ってるんだし考え直してよ。絶対に不便だって、こんな書き方されちゃ」
「うーん、そうねぇ……とりあえず、部長に言ってはみるけど……期待しない方が良いわよ」
「あーあ。やっぱり期待できないか……」
 項垂れる大月さんの姿が、なんだか妙に可愛らしかった。
 またしてもくすくすと笑みが零れてしまい、再びそれを指摘される。
「あ、また笑ってる。酷いなぁ……」
「大月さん、よく可愛いとか言われません?」
 すると今度は、書類の整理をしていた上山さんが声を上げて笑い出した。
 ??
「どうするのよ、大月くん。こんな可愛い子にそんなこと言われちゃって」
「さて、どうしよう……。まぁとりあえず、昼飯に付き合ってもらおうかなぁ?」
「えっ?」
 トンッと背中を押されて、上山さんに背を向ける形になってしまう。
「ついでに、お友達にもなってもらおうかなぁ? 法学部って男ばっかでむさ苦しいんだ」
「えぇっ!?」
 書類の間違いから来ただけだったのに、話はどんどんおかしな方向に進みはじめた。
 というか、法学部ってうちらの学部とは別もので、本当に頭のい人たちが集まってるところなわけで……。
 サークル活動もあまり活発でないうちの大学じゃ、ますます知り合いになる機会も少ない。
 それが、こんなことがきっかけで!??
「どう?」
 ――いや、どうって言われても……。
「秋仁くん、あんまり彼女のことからかうんじゃないわよ〜」
 一人困惑している私をよそに、上山さんは揶揄するような言葉を投げつけてきた。
「失礼な。俺は本気で言ってるんですよ。ね? 麻海ちゃん?」
「…………はい」
 半ば強引のような、なんか押されたというか……邪険にできないような性格の人だったので、ついつい私は頷いてしまった。
「よしっ。それじゃあ決定。学食行こうか?」
「はい……」
 再び大月さんに押されるようにして、私は学食へと向かった。
 まぁ奢ってくれるって言うし、お昼代も浮くから丁度いいかな……。
 そのときの私は、そのくらいにしか考えていなかった。





 今思えば、こうして隣にいる彼と知り合ったのはほんの偶然の出来事。
 名前が引き寄せてくれた偶然だと言った私の言葉を、秋仁はなんの恥ずかしげもなくこう言う。
「名前が引き寄せてくれた運命」――と。
 ときどき、女の私でもビックリするほどの台詞を秋仁は口にする。
 彼に言わせれば、思ったことを告げたいだけならしいけれど、それを聞かされる私の身にもなってくれたら……そう思いつつ、今日もまた、私は彼の甘い言葉に胸を躍らせている。






end..............










講義中にポンっと浮かんだ話を書いてみました。
各キャラの名前の由来は、『奥の細道』の文中にあったり(笑)

本当はもう少し、秋仁を癖のある性格にしたかったんですけれど、
それをやってしまうと、いつもの如く長々ダラダラとなってしまうので、
極力無駄な描写はカットしたつもりです。
というか、ほとんど会話ばっかりで、もしかしたら話的には激しくつまらないかも……。

でも、こんなおっとりというか、天然強引系!?のタイプの男の人を書くのは、
日頃の私ではあまりないことなので、なかなか楽しかったです。

それでは、今回もここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
さて、次は詩にしようかな。
簡単だし(^^;


2003/12/7


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