くだらない嫉妬に流され電話を切った直後から、麻澄の胸には後悔の嵐が渦巻いていた。
 他人からは物分りのよい男として見られがちの麻澄だったが、実は淋しがりで、特に瑛の周りの人間関係にはいつも複雑な想いをさせられている。
 だが、そんな麻澄の態度に気付いた瑛は決まってご機嫌をとりにやってくると、そのまま麻澄を丸め込んでしまう。
 そういう扱いをされると麻澄はとても辛い気持ちになった。
 どうしてオレばっかり、こんなに悩んでいるんだろう……。
 綺麗な顔を歪めながら、麻澄は思う。
 今にはじまったことではないこの悩みは、麻澄が瑛と付き合っていく上で決して解決されることのないものだった。
 嫉妬深い男ほど最悪な奴っていないよな。
 そのうち子供はもう懲り懲りって、捨てられたりして……。
 年の差を気にしている麻澄は、自分勝手な態度ばかりをとっていていつ愛想をつかされるのか。
 そればかりをずっと気にかけている。
 それは、麻澄自身よりも年上で、何もかもを与える側にいる瑛には気付くことのできない感情だった。



 小一時間ほどじっと考え込んでいた麻澄だったが、不意に鳴り響いたインターフォンの音で我に返り、慌てて玄関に向かった。
「瑛っ?」
 先ほどの自分の態度を気にかけ早く仕事を切り上げてくれたのかと思い、麻澄は相手を確認する間も無くドアを開いた。
「瑛っ、さっきはオレが悪かっ……」
 顔をあげるよりも早く口に出して謝った麻澄に、訪問者は言いにくそうに口を割る。
「あ、……麻澄?」
 瑛の声とは似ても似つかない甘え声に、麻澄はハッとして顔をあげた。
「螢っ……!?」
 恥ずかしい現場を見られてしまった羞恥から、麻澄の頬はうっすらと紅く染まる。
「ごっ、ごめんっ。間違えたっ……」
 中学校時代からの長い付き合いになっている友人、荻窪螢 (21)は、突然の麻澄の態度から状況を把握し、にこやかに微笑む。
「ううん気にしないで。それよりさ、今、暇かな?」
 背伸びをして麻澄の背後をちらりと覗き、部屋の中に人影がないことを見て取ると、螢は少し遠慮がちに尋ねる。
 つられて麻澄も後ろを振り返りながら、肩をすくめて苦笑した。
「見ての通り、暇を持て余していたとこ」
 麻澄は部屋に上がるように、螢を促した。
 すると螢は、慌てて麻澄の片袖を引っ張った。
 ??
「あ、あのね、買いものに付き合って欲しいんだ」
「買いもの?」
「うん。駄目かな? 久しぶりだし」
「いや、いいよ。ちょっと待ってて。今準備してくるから」
 優しく微笑んで螢に告げると、麻澄はリビングへと引き返した。



 大学生の春休みといっても三月も半ばを過ぎはじめているため、街中には卒業式を終えた中高生の姿もあちこちにあった。
 螢の買いものに付き合いながら自分も何着かの服や雑誌などを買い、必要なものは買い揃え終わった麻澄と螢は、クリーム色の外壁に包まれ街中にひっそりと佇んでいる小さなカフェに入る。
 店内には、時間的なものもあるのか女性たちの姿しかなかった。
 ドアを開けた際に鳴った鈴の音に振り向いたその女性たちは、儚げな美しさを漂わせている麻澄と可愛らしい姿の螢を見るや否や、ひそひそと語りだす。
「見て、あの人綺麗」
「私はあの小さい子の方が好みかも」
 他人に関心を持たない麻澄には届いていなかったが、螢はそんな彼女たちの言葉をしっかりと耳にしていた。
 奥のほうの空いている椅子に座ると、思い思いの注文をする。
 麻澄も螢も、共にコーヒーを頼んだのだが……螢の場合は、ミルクと砂糖を後々たっぷりと入れるため、多めにそれらを持ってきてくれるように言い添えた。
 一方の麻澄は、それとは全く正反対の注文をする。
 注文を聞き終えたウェイトレスがテーブルを後にすると、二人の間から自然と笑みが零れた。
「ボクたちってなんでこんなに正反対なのかな?」
「螢、甘いもの大好きだもんね」
「麻澄は昔っから駄目だよね。甘いの……」
 昔を懐かしむように、螢が呟いた。
「ほら、中二のバレンタイン! 覚えてる?」
「あぁ……忘れるわけないよ。あれは一生の思い出になった……」
 今思い出しても辛そうに、麻澄は顔をしかめた。


 冬の厳しさが一段と深まっていた二月の半ば。
 粉雪のちらつく中庭で、麻澄は立ち尽くしていた。
「永瀬くんっ、これね、作ってきたんだ! 受け取ってくれるかな?」
「っ……」
 突然差し出された黒い箱には、赤い可愛いリボンが巻かれていた。
 これが一体なんで、なにを意味しているのか……さすがに鈍い麻澄にも分かってはいた。
 だが、極度に甘いものが苦手な麻澄は、それを受け取ることすらはばかられた。
 当然受け取ったら最後、それを口にしなければならないからだ。
 まさか、捨てるわけにもいかない。
「もしかして……チョコレートって苦手?」
 上目使いに聞かれてしまい、麻澄は返答に困った。
「べ、別にそうじゃないけど……」
「じゃ、もう彼女いるとか?」
「と、特にいないけれど……」
「良かった。永瀬くん人気あるから」
 にっこりと微笑むと、少女は麻澄の手に箱を持たせた。
「ねえ開けてみてっ! 結構力作だったりするんだよね」
 断るタイミングを逃してしまった麻澄は、震える手を押さえながらそっと中を覗く。
 そこには、麻澄の予想したとおりのチョコレートがぎっしりと詰まっていた。
「…………」
 もはや返す言葉もなく、麻澄はその中から一粒を手に取り、背中を伝い落ちる嫌な汗を我慢しながら口へと運んだ。
 ふわりと口内に広がる甘いチョコレート。
 噛むことも飲み込むこともできずにいると、ふいに外側が溶けだし、中からは甘いミルクのようなものが出てくる。
 込み上げる嘔吐感を必死で堪え、麻澄は引きつる笑顔で答えた。
「……あ、ありがと……おいしいよ」
 事実を知らないまま、麻澄の笑顔に満足した少女はくるり背を向け、その場を後にしていった。
 残された麻澄はというと、その場から動くこともできずにしゃがみこんでしまう。
 そこに、偶然通りかかった螢がやってくると、プツンと緊張の糸が切れてしまった麻澄は、螢の胸に思いきりチョコレートをぶちまけてしまったのだった。


「ボク、あの一件で、麻澄が甘いもの苦手だって知ったんだもん」
 クスクスと笑いながら、運ばれてきた甘いコーヒーを口にする。
「オレだって、まさか食べさせられるとは思わなかった」
 螢が口にしている甘いコーヒーを見て鳥肌を立てながら、麻澄はため息を漏らす。
「女の子には弱いもんね。麻澄は」
「女の子じゃなくて、甘いものだろ!」
 思い出しただけでも吐き気が込み上げてくる話題に、麻澄は顔色を悪くした。
「ところで……さ」
 急に真面目な顔になって、螢は麻澄の顔を見つめた。
「ねぇ……瑛さんと、なにかあったでしょ?」
 なんの前触れもなく、予想もしなかった方向に話が持ていかれ、カップを手にしていた麻澄は危うく滑り落としそうになる。
「なっ……なにっ?」
目線を泳がせながら、麻澄はしどろもどろに答えた。
「とぼけたって駄目だよ! 何年友人やってると思ってるの?」
きつい口調で言い張る螢に、なおも麻澄は話を逸らそうとした。
「そうだ! 螢、今夜夕飯食べにこない? オレ、たまにはなんか作るよ!」
「麻澄っ! ボクは本当に心配して言ってるんだよ!? 話を逸らさないで」
 いつもはポヤンとした雰囲気の螢が、こんなにも食い下がらずに自分の意見を言うのは、日頃滅多にないことだった。
「これ!」
 カバンの中からひとつの黄色い小箱を取り出した螢は、その箱を真っ直ぐに麻澄に向かって差し出した。
瑛の話と、この小箱。
 いったいなんの関係があるのか全く理解できないでいた麻澄は、螢の次の言葉を待つ他になかった。
「明日……なんの日か知ってる?」
 先程とは打って変わっておっとりとした口調に戻った螢は、確認を取るように麻澄に向かってゆっくりと聞いた。
「明日……?」
 螢の言葉を返すように麻澄は呟く。
 思い当たる節がないといった麻澄の面持ちに、螢は大きなため息を漏らす。
 どうして自分にとっての大切な日を全くと言っていいほど覚えていないのか、螢は不思議で仕方なかった。
「誕生日っ!! 明日は麻澄の誕生日でしょ!? なんで自分の誕生日を忘れるの?」
 信じられないっ! そう言いながら再び小箱を手にした螢は、直接それを麻澄に手渡す。
「ボクからのプレゼント。まぁ、瑛さんみたいに、いいものはあげられないけどさ」
 螢の言葉を聞きながら麻澄はラッピングを開け、中身を確認する。
「言っとくけど、チョコじゃないからね」
 そう言われて中身を取り出すと、淡い空色模様をした二本の鍵が入っていた。
 鍵を手に取り両方見比べてみるが、どちらも同じ形をしているように見える。
 しばしそれを見つめていた麻澄だったが、箱の中に鍵を戻すと再び螢に聞き返した。
「これ……なんの鍵……?」
 確かに麻澄がこんな質問をするのは無理もなかった。
 いくらプレゼントとはいえ鍵を渡されても、なんの鍵か分からなければ使い道もない。
 不安げに顔を見つめている麻澄に、螢は素直に答える。
「麻澄の家の鍵」
 一瞬螢の言葉に耳を疑った麻澄だったが、改めてもう一度聞き返す。
「は?」
「だから、その鍵はボクが前から麻澄に貰って持っていた家の鍵を、新しくコピーしてもらったの」
 そのコピーが、どうして再び自分の元に戻ってくるのか……。
 もう一度箱から取り出して二本の鍵を手に取ると、麻澄は呟いた。
「この鍵を……どうしろって?」
 もともと勘の鋭い方ではない麻澄には、螢のその遠まわしな言いかたが理解できないでいた。
「その鍵を、瑛さんと麻澄が一本ずつ持っていれば都合いいでしょ? 前に麻澄が言ってたじゃん。「合鍵って渡した方がいいのかな?」って。麻澄見てても渡した感じは全然しなかったし。だから、ボクからのプレゼントはそれなの!」
 これで納得したか! と言わんばかりの螢に、麻澄は唖然としてしまう。
 確かに以前鍵のことを話した気もしたが、まさかそんなものを、誕生日プレゼントとして貰うとは思ってもいなかったのだ。
 麻澄はここが女性だらけの店の中だというにも関わらず、思い切り赤面してしまった。
 その表情は色白の麻澄の姿をいっそう美しく彩り、周りでざわざわと会話をしていた女性たちも、思わず麻澄の姿に吸い寄せられてしまう程だった。
 急に静まり返った店内の様子に気付いた螢は、慌てて麻澄に囁く。
「ちょっとっ! そういう顔は、こんなところでしないで、瑛さんの前だけにしなよ!」
「な──っ!!?」
 瑛だけの前って、なんだよっ! 頼むから、これ以上変なことは言うなっ!!
 心底恥ずかしい思いを味わった麻澄はとっさに椅子から立ち上がり、ますます周囲の視線を集めてしまう羽目になった。
「瑛さんと喧嘩したのかなんなのか知らないけれど、明日は誕生日なんだからさ。もうちょっと明るくしなよ。麻澄ってさ、すぐに顔とか声に出るから、なにがあったとかまる分かりなんだよ。第一さ、なに?? 夕飯食べにこないかって……。ボクなんかが行ったら、瑛さんに叩き出されるのがオチだよ」
 言いたかった言葉を全て伝えられ、満足した螢はにっこりと微笑んで席を立つ。
 麻澄の役に立てるのであれば、例えそれがどんな役目であろうと嬉しかった。
 ――例えそれが、自分の幸せに繋がることではなかったとしても。
「今日はね、それを伝えたかったから買いものに付き合ってもらったんだ。だからさ、変な意地張ってないでさっさと仲直りしなよねっ!」
 ざっくりと核心を切り込まれてしまった麻澄は、返す言葉もないほど動揺をしていた。
 立ちつくしている麻澄の前に伝票を置くと、螢はいたずらっ子のような無邪気な笑みを浮かべる。
「これは、心配料として麻澄持ち。じゃ、ボクは先に帰るから」
 なにもかもを見透かされ、挙句忠告までされた麻澄は、弁明する余地もないまま一人その場に取り残された。
 注目されている周りの視線を気にしつつ再び席に着くと、伝票を手に取った。
「螢のやつ……」
 いくら長年の付き合いとはいえ、ここまではっきりと分かってしまうものだろうか?
 悩んでいたり困っていたりすると、螢は決まって麻澄の力になっていた。
 麻澄自身も、そんな螢には言葉では言い表せないほど感謝をしている。
 助けてもらっているばかりで、本来なら逆の立場にも見えるような自分たちの関係が全く反対になっている。
 いつだって螢は、麻澄を助けてくれるのだ。
 勇気付けられた麻澄はカバンの中から携帯を取り出すと、かかっては来るが自分からはあまり押したことのない番号に電話をかける。
 たった一言を言うために、瑛が出るのを待ちながら自分を励ました。
 数秒無音の状態が続き、不思議に思った麻澄が液晶画面を覗き込んだとき、ふいに表示が通話へと変わった。
 慌てて電話を耳元に戻し、聞こえてくるであろう瑛の言葉を待つ。
 だが麻澄の耳に入ってきた言葉は、機械的に応答をする留守の言葉だった。
「ピ―――ッ」
 留守番メッセージの合図が鳴ったのに気付きとっさに切ろうとした麻澄だったが、一瞬ためらった後、意を決して話し出した。
「瑛……? オレ、麻澄。さっきは……ごめん。勝手に電話切っちゃって……。仕事……、入ってるんなら無理かもしれないけど、もし暇だったら…家に寄って……?」
 途切れ途切れになりながらもようやく言い終えた麻澄は、ゆっくりと電話を離した。
 もしかしたら、さっきの女の人と一緒かもしれない。
 もしかしたら、もう、会いに来てくれないかもしれない。
 もしかしたら、当直になって来れないかもしれない。
 考えれば考えるほど、「もしかしたら」というマイナス思考が生まれる。
 螢に励ましてもらったにも関わらず、いざ行動を起こすとどうしても後悔をしてしまうのが麻澄の悪い癖だと、悩みのもとの張本人でもある瑛も言う。
 もっとも瑛の場合は、別問題の話を指しているのだが……。
 答えの返ってこなかった電話をしまい立ち上がると、麻澄は店を後にした。


 日の暮れかけている街中を、麻澄はあてもなく歩いた。
 なにも考えずに歩いているつもりだったが、足は自然と自分の家に向かっていたようで、いつのまにか近くのショッピングセンターのそばに着いていた。
 そんな自分の行動に、思わず苦笑が漏れる。
 もしかしたら……。
 そう思いながらも、良い意味での「もしかしたら」を考えているもう一人の自分がいるのだ。
 もしかしたら、来てくれるかもしれない。
 それはもはや、麻澄の望みになっているだけなのかもしれなかったが。
 夕飯の買いものを済ませようとする主婦たちで賑わう店の中に入り、麻澄はあれこれと買い物を済ませた。
 そして、今度は真っ直ぐ帰途についたのだった。



next......「君に声が届くとき(3)」





君に声が届くとき(2)をお届けしました。

こうやって読み直したり書き直したりしていると、改めてキャラたちと向き合うことが出来ます。
螢って話している言葉だけ見ていると、女の子のようだ…とか、麻澄は本当に内向的な性格だ…といったことの再確認などです(^^;
年が離れている恋人だからこそ、その年の差と自分の状況にジレンマを感じてしまう気持ちは、例えそれが同性の恋人であろうと、異性の恋人であろうと、同じことなのだだと思います。
この回は、その心の葛藤を書いてみたつもりでおります。

それでは、今回もここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

2004/1/28



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