* 初詣---Side[B] *

　すごく、惨めな気分だった。
　だから誰かと一緒に行動するのは嫌い。
　独占欲が強いって分かってるから、人を好きになっても深入りしたくない。
　私だけを見ていて欲しいし、私だけを思っていて欲しい。
　そんな自分が、吐き気がするほど嫌いだった。
　私は、忍足の腕を小さく引っ張った。
　それに気付いた忍足は、私の顔を見る。
『ごめん、帰るね』
　声を出さずに口元でそう言うと、今度こそ忍足に背を向けた。
　階段を下りて、忍足の位置からは見えなくなっただろうところまで来たら、私は走り出した。
　走って、走って、人込みに紛れ込んだ。

　ハァ、ハァ…ハァッ……。

　逃げることでしか、今の自分を支えていられなかった。
　忍足から、そして、自分自身から。
　なにもないところなのに足をとられて、思い切り躓いた。
　こんなに派手に転んだのは何年ぶりだろう。
「……っ」
　あぁ、らしくない。
　落としたバッグを拾って、乱れた髪を直し、服についた埃を払った。
　隣で肩を並べていられるのが、私であったらよかったのに。
　握り締めていた拳をそっとひらくと、爪の跡がくっきりと残っていた。
　こんなにも力を入れていた自分に、皮肉げな笑みが漏れる。
「なにをこんなに、熱くなってるのよ」
「ほんまやっ」
　！？？
　背後から聞えた息を切らしたその声に反応する前に強引に肩を掴まれると、そのまま小さな路地まで引っ張られた。
「ちょ、ちょっと、なにっ！？」
「なんで勝手に帰ってるんや」
「え……？」
　肩を掴んでいた忍足の手が、私の腕に移動した。
　顔の高さまで手を上げられて、壁に押さえつけられたまま忍足の顔を目の前にしている。
「待っててくれって、言うたやろ？」
　眼鏡の奥の両の瞳は酷く真剣で、私は思わず息を飲んだ。
「だって」
「だってもなにも、あらへん」
　ゆっくりと、掴まれていた腕を解放してくれた。
　けれど忍足はそのまましゃがみこむと、私の膝の辺りに顔を寄せた。
　驚いて思わず足を引こうとしたけれど、忍足はそれを許してくれなかった。
「怪我してるやんか」
　眉を顰めて血の出ている膝を見つめると、ズボンから取り出したハンカチで足の血をそっと拭った。
「っ……」
「我慢しい」

　私の前に、あの忍足が跪いている。

　私の足に、あの忍足の手が触れている。

　私の血を、あの忍足が……拭いてくれている。

　身体中の血液が沸騰して眩暈がしそうだった。
　なんでこんなことまでするの……？
　どうして、追ってきたりしたの！？
「や……めて……」
「ん？」
「やめてよっ！」
　触れている忍足の冷ややかな手を振り払い、私は叫んでいた。
「なんでこんなことするのっ？」
　もう、止められない。
「お願いだから、ほっといて！」
　激情に流されるままに、忍足に喚き散らしていた。
「私のことなんて、構わないでよっ！！」
　八つ当たりもいいとこ。
　忍足はなんにも悪くなんてない。
　心を手に入れないからこんなにも苛立ってる私にだって、優しくしてくれる。
　けれど、それが……どんな優しい仕草よりも、辛い。
「放ってなんかおけるわけないやろ」
　手が、再び足に手が添えられたと思うと、傷口に忍足の口唇が触れた。
「や……っ！」
　なぞるように舌で傷を辿られ、震え出した足からは力が抜けてしまった。
　カクンと膝が折れる。
「が逃げるからや」
　足に回っていた腕が腰に登り、背中を通り、頭に触れた。
「俺から……」
「んんっ！？」
　鉄を口にしたかのような、独特の味が口腔内に広がる。
　私の足に触れたあの舌が絡まった。
　離れたくても、忍足に頭を押さえられているから身動きすら取れない。

　やめて！

　離してっ！！

　お願いだから……。

　知らず知らずのうちに、涙が零れていた。
　嬉しいからじゃない。
　こんな風にキスをされたって、嬉しくなんかない。
　頬を伝う涙に指が重なり、忍足の手の甲にまで流れた。
「俺のこと、嫌いなん？」

　嫌い。

　嫌いよ。

　忍足なんて、大嫌い！！

　……そんなわけない。

　嫌いなんて、思ったこともない。

「こんなことしたって、無駄じゃない」
「え？」
「そんなこと聞いて、どうだっていうの？」
「……？」
「彼女のいる忍足に、そんなこと言われたくなんかないっ！！」
　止まらない涙を拭って、忍足の身体を思い切り突き飛ばした。
　突然の私の行動に驚いたらしい忍足は、数歩後ろによろめく。
　その隙に、痛む膝を抱えて私は再び表通りに向かって走り出そうとした。
「待てや、！」
　そう呼ぶ声に一瞬足が止まった。
　けれど、振り切るように頭を振って走り出した。
　でも今度はそうはいかなかった。
　やっぱりテニスをやっているだけあって、瞬発力は私なんかより何倍もある。
　それに、私が全速力で走ったって忍足に敵うわけがなかった。
「なんで俺に彼女がいるって思うんや？」
　手首を痛いほどに掴まれて、身体を忍足の方に向けられた。
「なんでそんなこと思ってるん？」
　なんで……？
　だって、昨日。
　腕組んで、店に来たじゃない。
「…………」
　なにも言えずに、私は黙っていた。
　言いわけをするみたいですごく嫌だったから。
「見たんやろ、昨日」
　！？
　驚いて、上にある二つの瞳をじっと見返した。
　昨日？
　どうしてそれを……。
「があの店でバイトしてるの、知ってて行ったんや、昨日」
　気付いてたの？
　でも、私の顔なんて見もしなかったし、話し掛けてもこなかった。
　気付いてたんだったら、なんで。
「姉貴がトイレに行きたいって言うから、店に行ったんやけど、は気付きもせんかったやろ。わざと一万出して、話すチャンスやと思っとったのに」
　確かに昨日、忍足は一万円を出した。
　震えそうになる手を押さえてお金を返したのは、他の誰でもない、私だったんだから。
　でも今……。
　姉貴って……？
　口を閉ざしている私の前に膝を曲げて屈みこむと、忍足は綺麗な口元を意地悪そうに引き上げた。
「あれ、俺の姉貴。彼氏に振られたのを根に持っとって、俺引きずり出して憂さ晴らしに付き合わされてただけや」
　あまりの話の転がりように、今度は開いた口が塞がらなかった。
　よりにもよって私は、一人で勘違いをした挙句に喚き散らしていたんだから。
　……恥ずかしさが大波のように押し寄せてきてしまい。
　まさに穴があったら入りたいとは、こういう状況なんだと思う。
「話し掛けてくれると思ってたんやけど、は知らぬ顔で通すし、あれでもショック受けてん」
　依然手を握られたままだったけれど、力は随分と弱めてくれていて、でも、決して離してはくれなかった。
「さっきの電話かて姉貴からやし。怒りよるさかい、名前で呼ばな」
　言葉も出るはずがなく、パチパチと瞬きを返すだけ。
　頭の中で忍足の言葉がグルグルと回っていて、理解するにも時間を要した。
　私がバイトしてるのも知ってて、気付いていたのも知ってて。
　しかも……着物の人がお姉さんで……！？
　分かってて、バイト先に来た……？
「彼女なんておらへんわ」
　瞳を伏せてそう言う忍足に、少しの罪悪感を感じた。
「ごめん……」
「それ、なんに対して謝ってるん？」
　え？
「気付いてたのに無視してごめん？　それとも、勘違いしてごめん？　それか…俺のこと嫌いっちゅーことで、ごめんか？」

　言ってもいいのだろうか。

　秘めていた言葉を。

　言うことはないと、固く閉じ込めていた気持ちを……。

　寒さだけではない。
　震える口唇に少しの力をこめた。
「無視して……ごめんってこと……」
　その言葉の中には、【勘違い】や【嫌い】なんて意味合いは含んでない。
　逆の意味なんだから。
　忍足は、分かってくれるのだろうか。
「ほな、嫌とは思ってへんって、そう理解してもええんか？」
　手首を掴む忍足の手に力が入ったのが分かる。
　緊張しているのは私だけではないみたいだった。
　口には出さず、小さく頭を縦に振った。
　嫌いじゃないってことは、好きってこと。
　口で言わなくたって分かるはずだ。
「の口から聞きたいんや。言うてみ？」
　忍足は意地悪だ。
　私にばっかり言わせようとする。
　これじゃあ、私から告白するのと同じだ。
「言ってくれへん？」
　強請るように、甘えるような口調で促されれば、抵抗なんてできるはずもない。
　きっと、惚れた弱み。
「す……き……」
　蚊の鳴くようなほどの消え入りそうな声で、ようやくその一言を紡ぎだす。
「誰のことを？」
「……忍、足が……」
　寒いはずなのに、頬と耳が痛いほどに熱い。
　触れ合うほどに近くにある忍足の顔に紅潮し、その声で耳まで真っ赤になる。
「続けて、言うてみ」
　………………。
　絶対に、わざとだ。
　こんな言葉責めみたいなことするなんて、悪趣味。
「……忍足のことが、好き」
　けれどもう、ここまで来たら言い逃れはできないし。
　半ば開き直って、口唇の端を上げて微笑んでいる忍足に告げた。
　女の私がいうのも変な話だけど、こういう時の忍足はすごく綺麗だと思う。
　勝気な笑みを浮かべてる表情。
　テニスの試合中なんかも、ときどきこういった類の笑みを見たことがある。
　ゾクっとするほど見惚れてしまう感じ。
　やっぱり私は、忍足には弱いんだ。
「貴重な体験や」
「え？」
「口数少ないに、そんなことまで言って貰えるんは、俺だけやろ？」
　とんだ自信家だ、忍足は。
　でも、見透かされてるからまた、悔しい……。
　ようやく手が離されて。
　私の前には、忍足の背中が向けられた。
　足元にしゃがみ込んだ彼が、後ろに手を差し伸べる。
「、ここに乗ってみい」
「なっ、なに言ってるの！？」
「なにって、おんぶや」
　それこそ「なに聞いとるんや」などと言いながら、私を促す。
「い、いいっ。私重いし……」
「ほな、お姫様抱っこがええんか？」
「っ……！？」
「怪我してる彼女を歩かせるわけにはいかんやろ」

　彼女……。

　私が、忍足の、彼女……？

「それともは、そんな薄情な彼氏がええんか？」

　彼氏……。

　忍足が、私の、彼……。

「言っとくけど、本当に重いからね」
　やっぱり可愛らしくない。私のもの言いは。
　でも、手を差し伸べてくれている忍足の背中に、恐る恐る抱きついた。
　忍足の首にそっと手を回す。
　口唇が髪に触れてしまう程の距離。
「ほな、俺の家で消毒してから送ってやるさかい」
　ふわっと地面が遠ざかり、私の目線はいつもの位置よりも少し高くなった。
「、今日からは俺のこと名前で呼んだってな」
「……わかった」
　薄暗かった路地から抜け出すと、相変わらず人通りが多い路に出た。
　ちらちらと私と忍足を伺う視線に、やっぱり私は遠慮がちに声を上げた。
「やっぱ恥ずかしいから、降ろしてくれない？」
「あかん。ここで降ろしたら、男の名が廃るやろ」
　…………。
「そういえば、神さんに頼んだ願いごとがもう叶ってしもうたわ」
「え？」
「と付き合えますようにっちゅーやっちゃ」
　あやすように身体を揺すって、私に笑みを零した。
　……それだったら、私も同じだ。

　忍足と……

　――侑士の彼女になりたい。

　そう願ったんだから。

「……私もだよ」
　耳元で一言だけ呟くと、私は忍足の首に顔を埋めた。
　温かくて、すごくいい匂いがした。
　聞えたか聞えないかのような声だったけれど、
　ぐるん……！
「きゃっ！」
　二度三度と回転されて、思わず忍足にしがみつく。
　きっと、さっきの言葉が聞えたんだと思う。

　最悪な年明けで、辛い思いばっかりと思っていたけれど、今年は……幸せな年を送れそうな気がした。
　一人じゃなくて、侑士とだったら……人込みの初詣も、いいかもしれない。

.......the end......

長いっ。
ただ告白させるだけなのに、こんなに無駄に長々と…(--;
さま、貴重なお時間を御取りしてしまい、申し訳ございませんでした（汗）
修羅場な告白シーン(^^;
でも、いちお丸く収まったので、こちらの選択サイドはまぁ、こういうエンディングです。
意地っ張りな主人公を書いてしまい、スミマセン。
苦情などございましたら、掲示板でもメールでもどうぞ(^^;
それでは、今回もここまでお読みいただき、ありがとうございました。

2003/1/16

====【おまけ】===============================================

管理人：「っていうか、傷口嘗めるってどういうプレイよ……」
忍足：「お前がそう仕向けたんやろうが！」
管理人：「でも、ちょっとどきどきしたんでしょ」
忍足：「……ま、まぁ少しわな」
管理人：「可哀想なちゃん……。こんな変態に好かれちゃうなんてっ」
忍足：「へ、変態ってなんや！」
：「本当に恥ずかしかったんだから、あれ……」
管理人：「そうだよね、まさかあんなことするなんて思わないもんね」
：「うん」
管理人：「ところで、あの後忍足の家行って、変なことされなかったでしょうねっ！？」
：「…………」
管理人：「……！？」
忍足：「…………（逃げ足）」
管理人：「忍足ーーーっ！！」
忍足：「ちょっと待たんかい！勝手にそうやって決め付けんなやっ！」
管理人：「だったらなんで、逃げようとしてんのよ！」
忍足：「ちょ、ちょお待ちっ！　あれはとも合意の上やったんやし！！」
：「……」
管理人：「あ、あんた……もう怒った！　今度は絶対に痛い目遭わせてやるからね！」
忍足：「なんでやねんっ」
管理人：「ふん、もう決めたことよ、行こうちゃん。
　　　　こんなとこいたら、また襲われるわっ（手をとって逃げる）」
忍足：「あーーっ、堪忍や。もうあんなことせえへんから、～っ」

ちょっぴり情けない感じが漂う、今回の忍足…；