手元には一枚の封筒。
 【希望番号・枚数・氏名を記入をして提出すること】…締め切り――12/12(金)
「侑士ー、会議室前の廊下に写真貼ってあるらしいぜ。見に行かない?」
「そやなー。ほな、行ってみるか」
 ファイルの中に封筒をしまうと、ロッカーの上に乗り上げて声をかけてくる岳人の元に向かった。

 今朝から貼り出された写真を見ようと、廊下前は生徒でごった返していた。
 一番から掲示されている会議室の前などは、とても中まで入って、じっくりと写真を見れるような状況ではない。
 割合は八対二と言ったところで、ほとんどが女生徒である。
 忍足は半ば諦めて、遠巻きにその光景を見ていたが、岳人は身軽で小柄な身体を駆使して、スルスルと人込みの中に紛れていった。
 向こうの方で写真を見ている生徒の中からは、時折、忍足を呼ぶような声も聞えてくる。
 おそらく、彼が写っている写真があったのだろう。
 一人残された忍足は、所在なさげに目の前に展示されている数十枚の写真を見つめていた。
 展示番号は四百を超えている。
 ほとんどの人たちが一番のほうから見ているため、忍足の前の壁は比較的スペースが空いていた。
 十一月の中頃に行った、六泊八日ロサンゼルス・メキシコ方面への修学旅行。
 さほど慣れない海外ながらも、その楽しさは通常の学園生活からではなかなか得られないものだった。
 忍足自身も、ずいぶん羽目を外して遊びまわった記憶が真新しい。
 楽しかった記憶に思いを馳せながら、何気なく壁に近寄った。
 この辺りに展示されているのは、オールドタウンの街並みや、そこの人々と共に写っている生徒たちの写真だった。
 ――変わった店が沢山あったところやったな、確か。
 ドリームキャッチャーやらアロマキャンドルやらインディアンの民族衣装を着た置物やら。
 一風変わった雑貨が、家のような造りの店や露店で売られており、少女たちは見慣れないそれらの民芸品をこぞって買い占めていた。
 そんな光景を写した写真の中で、ひとつだけ……そう、吸い寄せられるように惹きつけられるものがあった。
 穏やかな夕陽の光を浴びて、軒を連ねる民家のバルコニー。
 ふくよかな身体つきをした女性のものらしい赤ん坊を、恐る恐る抱えながら、カメラに向かって微笑みを向ける一人の少女。
 まるで、自分の子供を抱いているかのように、嬉しそうな面持ちだ。
「あかんやろ……
 写真の中の少女が見つめているのは、カメラのレンズであり、決して自分自身ではない。
 分かってはいても、自分が思いを寄せている人のこんな笑顔を見てしまっては、ついつい言葉も零れてしまう。
 できるものなら、この写真を誰にも見せたくない。
 今すぐにでも、引き剥がしてしまいたい衝動に駆られるも、忍足は懸命に自分を落ち着かせた。
 【427】
 右上に記された番号が、脳裏から離れることはなかった……。







 今朝は特に冷え込みが厳しさを増していた。
 忍足のクラスは一限から体育の授業。
 しかも屋外での野球という、なんとも酷なカリキュラムである。
 くじを引いて決めたポジションにそれぞれが着く。
 レフトというなかなか暇を持て余せそうな位置の守備についた忍足は、寒空の下校舎から出てきた一人の少女に 目を奪われた。
 数メートル歩いたところで少女は立ち止まると、数回くしゃみをした。
 目を離せるわけがない。
 今がゲーム中だということすら忘れて、彼女の一挙手一投足を見つめる。
 突然自分の名前を呼ばれた忍足は、声がするマウンドを振り返った。
「侑士ー! ボール行ってるぞーー!!」
 慌てて空を振り仰ぐと、ボールは丁度、今いる自分の位置を超えていくところで、向かっている方向はが立ち止まっている方だった。
「あかん、避けやっ!」
 声につられる様にが振り向くのとほぼ同時に、ボールが彼女の頭に直撃した。
 崩れるように地面に倒れ込むの身体を、忍足は駆け寄って抱き起こす。
 だが、すっかり意識を失ってしまっているは、起きる気配を見せない。
 授業中だということも忘れ、忍足はの身体を抱え上げる。
 さすがに軽いとは言えなかったが、自分の腕の中にある身体は確かに彼女のものだった。
 足早に保健室へと運んでいく。
 一歩足を進めるたびに、の身体から優しいシトラス系の香水の香りが漂ってきた。
「理性との闘い……っちゅーやっちゃな」
 に聞こえ無いのをいいことに、忍足は自嘲的に呟いたのだった。



 授業が終えるたびに、忍足は保健室へと足を運んだ。
、目ぇ覚ましました?」
 これで既に三回目。
 しかしは一向に目を覚ます様子もなく、静かに眠ったままだった。
「少し熱もあるみたいだから。眠りが深いだけだと思うし、大丈夫よ」
 保健医のその言葉で、忍足の肩からわずかに力が抜ける。
 そっとカーテンを開けると、微動だにしないまま眠り続けるの姿。
 チャイムが鳴ったのに気付き、忍足は後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。



 五限目の終了を告げるチャイムが、午後の授業で疲れ切っている校舎内に響き渡った。
 忍足は、本日五度目の訪問をしようと席を立った。
 制服のズボンから大事なものが落ちたことも気付かずに、教室を出ようとする。
 すかさず、その落しものに気付いた岳人が忍足を呼び止めた。
「侑士ー、なんか落ちた」
 ひょいと拾ってその正体を見ようとすると、目にも止まらぬ速さで、ドアを開いていた忍足が岳人の元にやってきた。
「おおきに。それ、返してや」
 ??
 あまりにも見慣れない忍足の慌て振りに、岳人はニヤリと笑ってそれを後へと隠す。
「なんだよ、ただの生徒手帳だろー。別に、見たっていいじゃんか」
「……っ! あかんって、いいからこっちに返してくれ」
「怪しー。もしかして、見られて困るもんでも入ってんの?」
 そーっとその手帳を開こうとする岳人から、生徒手帳を取り戻そうと、とっさに手を伸ばした。
 しかし、僅かな差で岳人がそれをかわし、廊下に逃げ出してしまう。
「待てや、岳人っ!」
「やだよー。そうだ! 跡部のところ行って、皆で見てみよ」
 鼻歌を歌いながら軽やかに階段を下りて行く岳人を追って、忍足は走り出した。
 ――冗談やないで。あれ見られたら、なに言われてからかわれるか、分からへん。
 忍足がそう感じてしまうのも、無理はなかった。
 だって、その中には例の写真……。
 あの、カメラに向かって(自分にと思っているが)微笑んでいるの写真なのだ。
「岳人っ!」
 前を行く岳人の腕からそれを奪い取ろうとした瞬間、階段の手摺を飛び越えて、更に続く下の階段に飛び移ろうと身を宙に浮かせた。
 忍足は咄嗟に下を見て、思わず凍りついた。
 そこには、額を押さえて階段をゆっくりと登ってくるの姿があったからだ。
 どう見ても、岳人が着地する地点に立っている。
「危ないっ! 退きや!」
 すかさず声を上げて注意を促したが、岳人が落下するスピードの方が速かった。
 岳人の身体がそのままの身体にぶつかり、頭が床に叩きつけられるのが見えた。
っ! 平気か?」
 鈍い音と共には意識を失った。
 飛び降りるかのような勢いで、忍足は階段を駆け下りる。
「痛ってー」
 岳人はお尻を思いきり打ったらしく、しきりにさすっている。
 しかし、目の前に倒れているに気付くと、慌ててその身体を起こそうと手を伸ばすが、
「触んな、岳人っ!」
 強張った忍足の声にそれを制止させられた。
「え!?」
 驚いての身体を抱き起こそうとする忍足を、岳人は見つめた。
 視線に気付いた忍足は、普段は滅多に怒ったりはしないはずなのに、あからさまな怒りを露にしていた。
「この……あほが! なにしとんねん、自分っ!」
 忍足のあまりの激昂ぶりに驚いた他の生徒たちが、騒ぎに気付いて辺りに集まってくる。
 それを煩そうに蹴散らすと、しっかりとを抱えあげて、再び保健室へと向かった。
「すまんな、……」
 ぐったりと意識を失っているに、忍足は辛そうに謝った。




 一方残された岳人は、忍足のあの表情に身震いしていた。
「なんだよ、あんなに怒鳴らなくたっていいだろー!」
 冷汗を拭いながら、痛むお尻を抱えて叫び声を上げた。
 遠巻きにその光景を見ていた生徒たちもまた、忍足のあの表情のことで騒いでいた。
「なんか、怪しくなかったー?」
「ねー。普通、あんなに怒らないでしょ」
と忍足って、デキてんのか?」
 そんな囁きが耳に入った岳人は、握り締めていた忍足の生徒手帳をそっと開いてみた。
 そこには、少し照れながら微笑んでいるの姿があった。
「……もしかして……」
 岳人は、ようやく忍足の慌てぶりを理解した。
 自分が下敷きにしてしまった彼女のことを思い、胸を痛めながら教室に戻る。
 ――侑士が帰ってきたら、謝ろ。
 そう決心した岳人だったが、六限がはじまっても、そして帰りのホームルームが終っても、忍足は戻ってこなかった。
 生徒手帳を持ち、忍足の学生カバンやラケットバッグを自分のものと一緒に持つ。
 靴箱を覗いて見たが、上履きがない。
 ということは、まだ校舎内に残っているということだった。
 せめてもの罪滅ぼしに、岳人は部室に忍足の荷物を全て持って行った。
 他のレギュラー陣が次々と部室に現れてはジャージに着替え、ラケットを手にしていく。
 なかなか着替えようとしない岳人を見て、慈郎が不思議そうに声を上げた。
「岳人、なんで着替えないの〜〜?」
「そうですよ、どうしたんですか? 向日先輩」
 鳳も、怪訝そうに岳人を見つめていた。
「べ、別にっ」
 岳人は慌ててジャージを取り出すと、それに着替えはじめる。
 そのとき先程の忍足同様に、ズボンから生徒手帳が落ちた。
 ポトッと音を立て、運悪く開いてそれが落ちてしまった。
 最悪なことに、の微笑がこちらを向いている。
 そして更に最悪なことに、部室のドアが開き入ってきた人物は、部長の跡部景吾その人だった。
「なんか落ちてんぞ、向日」
 手を伸ばしかけた跡部は、あと数センチというところでふと手を止めた。
 じっと、落ちている手帳の写真を見つめている。
 岳人は慌ててしゃがみ、それを拾おうとしたが、まるで神業のように跡部がそれを自分の手の中にとってしまった。
じゃねーか、うちのクラスの」
 怪訝そうに岳人の顔を見つめ、手帳を裏返す。
 証明欄に写っていた顔が岳人ではなく忍足だったのを見て、跡部は顔をしかめた。
「忍足……?」
…………。
 岳人は、それこそ試合中でも見せないほどの機敏な動きで、跡部からそれを奪い取ろうとした。
 しかし跡部にしてみれば、忍足をからかえる絶好の材料だ。
 みすみす手放すはずがない。
「おい、岳人」
 跡部の声に岳人はビクリと身体を震わせる。
「忍足は、どこに行った?」
「……し、知らない」
 目線を泳がせて答える岳人に、跡部は人の悪そうな笑みを浮かべた。
「保健室、」
 ビクッ。
「腹が痛いから、俺は保健室に行ってくる」
 そう言うや否や、跡部は部室から出ようとドアに手をかける。
 が今日一日保健室にいたことは、クラスの人間であれば知っているのが当然。
 そして、忍足の持っているこの写真。
 思えばこの半年、毎日のように教室に来ては「辞書を貸せ」だの「消しゴムをよこせ」だの「試合日程を教えろ」だの、どうでもいいことを言っていたな……と、跡部は思い返した。
 一度「クラスの名簿を見せてくれ」などと頼まれたこともあった。
 なにに使うのかと聞いても、へらへらと笑ってごまかす。
 そんな不可解な行動を、全てと繋ぎ合わせれば綺麗に収まる。
「あ、跡部っ! 忍足は今日、早退したんだ!」
 跡部のジャージを引っ張って、岳人が懸命に訴える。
「あーん? なんで早退したヤツのカバンが、この部室にあるんだよ」
 無常にも、目敏い跡部に見つけられた証拠品が、忍足の滞在先を如実に語ってしまっていた。
「………………」
 これ以上は岳人の手におえるものではなかった。
 スタスタと校舎に入っていく跡部を、呆然と見つめるしかない。
 覚悟を決めた、岳人だった……。
 そうして後々、戻ってきた忍足に岳人がこっ酷く叱られたのは、言うまでもない。


.........end.








前回に引き続きの、続編らしきものになりました。
とりあえず、忍足がどうしてあういう行動に出たのかというサイドストーリーと、
忍足側の、恋心を描いたエピソードです。
前回とは異なり、最後の方が何だかギャグっぽくなってしまい申し訳ありません…;
なかなか、難しいです。こういった小説も。
今後も精進していきますので、どうぞ、宜しくお願い致します。
それでは、今回もお付き合いいただき、本当にありがとうございました★



2003/1/1





====【おまけ】===============================================

岳人:「侑士、ホントにごめん……」
忍足:「もうええわ、も無事だったんやし」
跡部:「そうだよなー、ついでにモノにできたんだし、岳人に感謝だよなぁ」
忍足:「……跡部、なんや【モノ】って! 俺はそんなつもりで保健室いたんちゃうわ!」
跡部:「はん、どうだか。俺様が行かなくて、あの部屋に誰もいなかったら、
    のこと犯してたんじゃねーの」
忍足:「じゃかあしいわ。んなことあるかい!」
跡部:「ちゃ〜んとか言って、毎日写真見てたのかよ、恥ずかしい」
忍足:「……岳人〜! お前、あれを跡部に見せたんか!?」
岳人:「わ、わざとじゃないってば! 跡部が奪い取ったんだぜ!」
跡部:「んなもん落っことす方が悪いんだよ。なー、侑士クン」
忍足;「……お、お前らーー! いい加減にしぃや!」

そうして、しばらくの間、忍足は岳人と跡部にキツク当たっていたのだった。
他のレギュラー陣には大迷惑な話。



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